でっきぶらし(News Paper)

« 136号の2ページへ136号の4ページへ »

さようならタイコ

 タイコが日本平動物園に来たのは1999年7月8日である。34歳で、体重は139kgであった。ゴリラのメスの平均体重は100kgであるから、かなり太りぎみであったといえる。名前の由来も子供の頃からタイコ腹だったため、「タイコ」と名づけられたと聞いている。

 タイコが当園に来る事になったのは、「ブリーディングローン」(動物園間で協力しあい繁殖目的で動物を貸し出す事)である。ゴリラもまた繁殖が大変難しい動物である。日本の動物園内で繁殖した例というのはほんの数例しか報告されていない。そこで、当園からトトというメスを東京の上野動物園に貸し出すこととなった。トトは22歳!まだまだ繁殖可能な、若くて健康なメスゴリラである。20年間という月日を共に過ごしたトトと別れるのは私にとっても大変悲しいことであったが、日本全体のゴリラのことを考えると個人的な感情は押し殺さなければならなかった。
 そこで、トトと交換という形でやってきたのがタイコである。トトと比べれば高齢なメスゴリラであったが、年の功というべきか、初めて来た当園で興奮したり暴れることもなく、実に落ち着いた様子であった。そんなタイコと比べ、対照的だったのがゴロンである。ゴロンは当園で21年間飼育をしているオスゴリラで、トトとは20年間一緒に暮らしていたことになる。そのトトがある日突然いなくなったかと思うと、入れ替わりに知らないゴリラがやってきたため、それはもう私達が予想した以上の興奮振りであった。大声で叫んだり、餌を投げつけたりして、タイコに対し威嚇し続けたのである。 そんなゴロンに、タイコは挑発的な態度をとることもなく、実に冷静であった。当初、タイコのそんな態度に落ち着きのある性格であると思っていた私達であったが、何の事はない、単なる面倒くさがりの、のんびり屋であった。餌に対してもあまり興味がないのか、気が向いたら食べるといった感じであった。ボソボソと少しずつ食べる程度で、いつも何かを残していた。好物のはずのミルクも、飲む日と飲まない日があって、その日の気分次第という感じであった。唯一いつも残さず食べていたのがトマトである。部屋に入ってきて見つけると、一番初めに食べ始めた。

 13日より、通路を覚えてもらうために放飼場の裏にある予備室に移動したのだが、初めて入る部屋であるのに何の抵抗もせずにすんなり入ってくれた。16日には放飼場に出したのだが、相変わらず麦ワラの上で、のんびりと寝転がっていた。とにかくタイコは常にマイペースであった。聞けば上野動物園にいた時から、飼育係に対しても関わりを持ちたがらず、特に女性を嫌う傾向があるそうだ。タイコに対してはできるだけ刺激しないよう、餌の時間以外はそっとしておくようにした。その方がタイコも落ち着いてのんびり過ごせているようであった。

 タイコの体の調子が悪くなり始めたのは、11月3日のことであった。おなかの具合が悪くなり始め、軟便が何日か続いたため、整腸剤を与えた。しかし一時は回復するのだが、投薬を止めるとすぐに軟便をしてしまうという繰り返しであった。1月26日に検便をしたところ、虫がいることが分かり、その日から虫下しの薬をミルクやヨーグルト、ジュースなどに混ぜて与えたが、臭いが気になるのか、微妙な味の違いが分かるのか全く飲もうとしなかった。
動物園では多くの動物達に整腸作用のある樫の葉やシイの葉などを与えている。それは、野生の食形態にならったもので、当園の類人猿においても同じように与えていた。しかし気分屋のタイコが定期的に食べてくれるはずもなく、私達は何とかして虫下しの薬を与えようとした。しかしながら不思議なのは、餌に混ぜた虫下しの薬をなぜそんなにまで嫌がるのかである。私も食べてみたことがあるが、木の葉というのは人間ではとても味わうことが出来ないほど苦く、それに比べれば虫下しの薬の苦さなど気にもならないと思うのだが・・・。

 30日には、放飼場に出すのも中止し、室内に収容して治療に専念することにした。軟便から下痢になり、体臭も重なってタイコの部屋には異常な臭いがたちこめた。動物の臭いには慣れている私達でさえ気持ちが悪くなるほどであった。
 体の具合が悪くなると、体毛の汚れもひどくなる。健康な時は何もしなくても体毛はふさふさしているのだが、体の具合が悪くなると体毛は汚れて固まり、地肌が見えてくる。しかし、体毛が汚れているからといって室内に入り、洗ってやることは出来ない。具合が悪いといってもゴリラはゴリラである。私達が入っていけば必ず危険が伴うのである。興奮して襲う力がまだ残っているかもしれない。
野生動物を私達が手で触れるのは、悲しいことだがその力が失われた時、つまり死を感じさせた最後になってしまうのである。つらいが様子を見るしかないのである。タイコの毛が汚れて固まると、健康な時には分からなかったのだが、下腹部に出来ていた股ズレが赤く目立った。タイコの動きがのんびりしていた訳がその時理解できた。

 2月1日には、新しい虫下しの薬が入ってきたため、ミルクの中に入れ与えてみた。今回は前回のものより味や臭いが気にならなかったのか飲んでくれた。整腸剤と共に10日間与えつづけた結果、下痢は続いているものの、食欲が出てきた。大好きなトマトをはじめ、イチゴ、バナナ、煮さつまいも、パン等を食べた。ミルクやヨーグルトも好んで飲んでいたので、私達はタイコの調子が良くなりつつあるのだと信じていた。

 しかし、16日になると上向きだった食欲も徐々に落ち始め、動きも悪くなった。18日にはミルクも飲まなくなり、一日中寝込むようになっていった。あんなにひどかった臭いも、動きが悪くなるにつれ、不思議なほど無くなっていった。悪臭を出すだけの余力さえ残っていないのか・・・。19日、20日と様子を見たが相変わらずミルクを飲む気配がなかったため、私達はついに部屋の中に入って治療をすることに決めた。私と獣医が部屋に入ると、タイコは目で私達を追うだけで動こうとしなかった。動けなかったと言ったほうが正しいだろう。
「少しでも栄養を取らせなければ・・・!」
水分補給と栄養のことを考え、タイコの好きなミルクを与えることにした。ビニール管を口の中に入れ、注射器で押し込むようにして200ccを飲ませた。嫌がって手で浮、こともあったが、のどが渇いていたのか意外とスムーズに飲んでくれた。しかし、それ以降は受け付けようとしなかった。何とかして水分を補給しようとミルクのほかにもリンゴジュース、蜂蜜をお湯で溶かしたもの、スポーツドリンク等を与えた。中でもスポーツドリンクは口当たりがいいのか、一日に2000cc以上飲むこともあった。 食べ物でも味が変わるとほんの数量だが口に運んでくれるため、通常の餌では与えないものでも様々な食べ物を用意した。この日から何も受け付けなくなるまでにタイコが食べたものは、イチゴ3粒、桃のシロップ漬け1つ、ぶどうのシロップ漬け3粒、ビスケット4枚、醤油味のせんべい5枚、干しぶどう50粒、桃のゼリー200gである。

 21日からは点滴のみの治療になった。23日には体温も31度台に下がってしまったため、部屋に赤外線ランプを吊るし、麦ワラを敷いて保温をした。上野動物園から24日に飼育課長と獣医が駆けつけてくれ、25日まで共に治療にあたってくれた。また、同日25日には静岡市立病院のM先生が来て、エコーの機器を使い治療に協力してくれた。
 その後も私達は交代で夜間も看護を続けた。また、多くの人があらゆる方面から治療に尽力してくれた。しかし、2000年3月5日、午後3時15分、ついにタイコの死亡が確認された。死因は急性心不全と診断された。  タイコとは知り合ってから日が浅く、信頼関係を築くことができなかったことが非常に残念である。短い間であったが、縁あって、日本平動物園に来たのだから、どうかこの地で安らかに眠って欲しい。

« 136号の2ページへ136号の4ページへ »