でっきぶらし(News Paper)

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飼育係は集う

                                           (松下 憲行)
 一年に三園は訪れるようにしたいと思い、ここ何年間かはその目的を達成している。今年もキンシコウを見るのが主な目的であったが、その日本モンキーセンターを初め、開園して間もない長野市茶臼山動物園、七十周年を迎えた大阪市天王寺動物園、当園と変わりない歴史を持つ広島市安佐動物公園と巡り歩いた。
 締め括りの安佐動物公園は、飼育係がざっくばらんにいろんなことを話し合おうと言う集まり、私たちが”飼育係の集い”と呼んでいるものであったから、今年は私にとって、内容のある意義深い訪問ができたと言ってよい。
 そう、安佐動物公園は世辞ぬきで、全国数ある動物園の中でも、やる気で燃えている活気のある動物園のひとつだ。その動物園を訪れることができたのだ。ましてやいろんな情報交換を求めてやってきた、全国二十数園数十名の飼育係と共々とである。風邪をひき、どうしようなくけだるかったが、気は燃えた。
 しかしながら、広々とした園内を歩く中での会話。私の動物園ではこうであったああであったとうんぬんを繰り返す中、私自身が聞くことよりも聞かれること、特に類人猿のほうに話題が移るとそうなった。オランウータンを十六年、チンパンジーの飼育経験も少々あり、ゴリラも代番しているとなると、自とそうなったのもやむを得ないか…。
 確かに話す相手の飼育係の半数以上は私より若かった。半人前から脱却をめざして、あちこちの動物園を訪ね、いろんな人の意見に耳を傾けるようにしていたのだが、いよいよ立場が逆転しつつある。若いつもりでいて、若くないことを証明されている時でもある。
 それは恐いことだ。いい加減な答えをすれば私だけでなく、日本平動物園にも恥をかかせてしまうことになる。酒ばかり喰らって、ちゃらんぽらんに仕事をしていると、何かの時に内側の薄っぺらさを見透かされてしまいそうだ。それぐらい若い飼育係のひたむきな気持ちは鋭い。実際よく聞く話で、集いの中でもポツリポツリそんな話は漏れていた。
 新しい動物園を訪れた時でも、ドキリとさせられることがある。案内してくれる飼育係の言葉づかいが妙にていねいで、おうかがいを立てている風なのだ。園は違えどもベテランだとみなしてくる。たいした飼育係でもないのにと思うのだが…。”一応十六年の経験”がそうさせてしまうようだ。
 考えようによっては、他園を訪れる意味がなくなってきていると思えなくもない。『もう経験が充分でしょうから』と、建前だけで終始される恐れもなくはない。公的訪問(出張等)でないと受けつけてくれない動物園があるとも聞く。だからと言って、もうやめようと言える程のところまで来ているのだろうか。
 問答する必要もなく出る答は、否。十六年の経験なんて遠い道のりの半ば足らず。まだまだベテランの域ではない。うぬぼれるのはおこがましい。鳥類、哺乳類、あるいは爬虫類と分野を分け、自分の経験を当てはめれば一目瞭然。爬虫類は全く無地。鳥類にしたってわずかに色がついているだけだ。それで何を威張れよう。
 全国には多くの動物園があり、多くの飼育係が働いている。その中には、やる気もなく働いている飼育係もいるだろう。だが、たいていは天職ぐらいに思ってひたむきに働いている筈だ。それら飼育係との情報交換は欠かせないし、欠かすべきでない。私も時には教師になるだろうが、彼らも又立派な教師である、教わる時は経験年数なんかにこだわらず素直に耳を傾ける生徒でありたい。
 来年も再来年も、年三園訪問の目標は掲げていきたい。ややもすれば自閉的になると言われるこの職業。自らの未熟さを思い知らせる為にも、その方法が一番よいように思う。飼育係の集いも多分にそんな要素が含まれているのではないだろうか。参加はわずかに三回しかないが、それでいて内側に充電させてくれるエネルギーは測り知れない。やるぞ、負けないぞ、とファイトが湧き出てくる。いつまでもそうでありたい。

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