でっきぶらし(News Paper)

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39号(1984年06月)7ページ

昭和58年度 動物園の1年 後編 2月

メガネカイマンの闘争死・スローロリスの死・他
 群れで飼育されていれば、闘争はつきものです。避ける術はないどころか、時には死に至ることすらあります。5日、病院に持ち込まれたメガネカイマンのオスは、正にその証明でした。
 何が原因かは分かりませんが、獣医の手に渡った時は、すでに右前足がブラブラ、皮1枚でかろうじて辛うじてつながっているだけでした。一応縫合はされたものの、出血の多さはいかんともし難く翌日には死亡。やっぱりワニはどう猛、そう思わざるを得ない事件でした。
 旧夜行性動物館で長らく飼育されていたスローロリス2頭が、11日と16日に相次いで他界しました。メス同士でありながらも至って仲がよく、何をするにも羨ましくなるくらい一緒の2頭でした。体調を崩したのも同じ頃なら、他界するのも手に手を取りあうようでした。
 飼育歴は9年7ヶ月と6年3ヶ月。原猿類としては、まずまず飼育したことになるでしょうか。長年の功績、仲のよさを讃え、彼女達の冥福を祈ってやって下さい。
 動物病院の一室で離乳が進められていたアシカの子が、順調に発育。体重もようやく19kgを越えました。もう心配はなかろうと、やっと“生まれ故郷”のプールへ戻すことに。
 しかし、親との同居はまだまだ無理であり、戻されたと言っても、隣の小さなプールの方へ、でした。それでも、子が泳ぎ回るには充分の広さです。母親とは、今しばらく柵越しの顔合わせで我慢してもらうしかありません。
 2月の最も寒い時期に一番まいったのは、オランウータンのクリコでしょうか。曇り空で風が冷たい時には、体温が35.1度にまで下がったこともありました。慢性の気管支炎に食欲も衰え、徐々に体力を失い、咳き込んでぜいぜいする姿はあまりにも哀れでした。
 春には、オスと同居させて再び繁殖を、との考えもありましたが、もうその望みも消えつつあります。後はひたすら治療に専念させ、1日でも長生きを願うしかないようです。
 他、この月の出産、フ化のほうでは、21日にチリーフラミンゴがフ化しながら、3日後に死亡。アクシスジカも26日に生まれながら、やはり駄目でした。これは共に、生まれて間もなく雨に打たれたのが原因でした。28日に生まれたワオキツネザルは、無事に育ってくれました。

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