でっきぶらし(News Paper)

« 177号の6ページへ177号の8ページへ »

ヒョウタの思い出

9月の敬老の日が近づくにつれて、今年の初めに亡くなった人気者で長寿だったヒョウ、ヒョウタのことが思い出されます。

北海道の円山動物園から1981年3月に来園した母親ヨッコは、1985年に2頭出産しました。

1頭は衰弱して死亡、ヒョウタもかなり衰弱が見られたので取り上げ人工保育に切り替えました。その時、体重は520gでした。この頃は退職した川畑さんと八木・鈴木・清水・佐野の5人の飼育係が交代で人工保育を行いました。

最近の動物用ミルクはかなり開発され栄養的にもミルクを溶かすにも簡単です。この時代のミルクは油分が多くまた溶けにくいのでミルクを溶かすのにかなり苦労しました。そしてヒョウタは順調に成育し、園内を散歩したり途中ではお客様に触られたりしてかわいがってもらいました。

ある程度大きくなった頃、動物病院より移動する事になりました。しかし、親と一緒に出来ないので、最初は現在ジャガーのオスがいる部屋がヒョウタの住まいでした。この部屋は午前中だけですが太陽が部屋の中まで差し込むので、この部屋を利用し3年間過ごすことになりました。

父親が1988年2月に死亡したため、母親のヨッコ1頭の展示よりも2頭の展示の方が良いことと、ヒョウタに太陽の下で生活させるために、母親の住む、現在ピューマがいる部屋に移動し母親のヨッコとの生活に入りました。

ヨッコにはインプラント(メスが妊娠している時の状態にさせ発情がこないようにする)を体に埋め込み、繁殖しないようにしました。2頭は仲良く過ごし、ヨッコは2002年2月20日に老衰で死亡しました。生存年数20年11ヶ月とかなり長生きでした。

ヨッコが死亡後、1頭になり寂しいのか元気がなくなってきました。2003年頃より冬の寒さには耐えられないらしく、部屋の外でも中でも1日中丸くなっている状態が続きました。部屋の中の床にはヒーターが設置してあり肌にそれほど感じない程度の暖かさにしてありましたが、丸くなって一晩中動かないでいるために低温やけどをしてしまい皮膚がむけてしまいました。

そこで薬を餌に仕込んで与え床には板を敷き傷口には薬を水鉄砲でかけ徐々によくなりました。また、血行が悪くなってきたのか尾の先が凍傷になってそこがかゆいために舐めるので傷口が開いてしまいました。麻酔をかけて開いた部位を縫い合わせましたが、またすぐに舐めて開いてしまうため舐めると痛いワイヤーの糸を使ってみましたがこれもだめでした。結局、この尾が完治したのは夏が終わる頃でした。

この頃より、白内障がひどくなり目が濁り始めたために、近くに呼び金網越しに点眼をしていましたが、どんどん進行しているようでした。涙が出てかゆいのでまたこすり、目の周りが赤くただれてきてしましました。

この時期には静岡市の姉妹都市のアメリカ・オマハ市よりピューマが贈られてきたために、ヒョウタは以前ユキヒョウのオスがいた部屋(この部屋はクロヒョウがいたりブチハイエナがいたり入れ替わりの激しい部屋)に移動しました。

この横の部屋にはユキヒョウのメスがいたので、放飼場には一日交代での展示になりました。また、雨や寒い日にはヒョウタは外ではなく部屋の中で過ごすことにしました。

ユキヒョウのメスが出園後は、ヒョウタは毎日放飼場に出ることになりました。目の瞳は見えなくなりブルー一色になってしまい、目がほとんど見えない状態でしたが、部屋から出る長い通路と放飼場はいつも歩いているので感で分かるのか、何とか時間をかけて出入りしていました。

2004年12月にはとうとう部屋の暖房では耐えられないようになり、動物病院の暖房の効く部屋に入院すると、快適のようでした。空いたヒョウタの獣舎には「入院中」と看板をかけて置くと、ヒョウタのファンがいつも心配し「いつ頃に退院」とよく聞かれました。そして2005年の5月の暖かくなった日に退院。元の獣舎でのんびりと過ごしました。

と言っても寝ていることがほとんどで日が当たると暑いのか移動するという程度でした。餌も大きい物だと嘔吐してしまうので、細かく切り与えていました。2006年の9月には日本動物愛護協会から長寿表彰を受けました。

毎年、暮れの寒くなった時期に入院していましたが、この年は10月でもかなり体がつらそうな様子なので早めに入院させることにしました。しかし、病院でもほとんど動かず、掃除時の部屋間の移動でさえかなり大変なようでした。餌も細かくきざんだ馬肉・鶏頭を1回では食べられないので2回に分けて与えていました。日に日にどんどんやせているのがわかり、獣医から薬をもらい投薬も続けていました。

年が明けた1月2日、病院の担当者に朝会ったのでヒョウタの餌は後からも持って行くので調子はどうかねと訪ねると、掃除をしようとしたが寝ているのでかわいそうなので後にしているとのことでした。

その後、ヒョウタが動かないと病院担当から無線連絡が入り行ってみると、ヒョウタの体はまだ暖かく呼吸はしていない状態でした。人工呼吸や心臓マッサージを試みましたがだめでした。

 ヒョウタは苦しんだ様子もなく眠るようにこの世を去りました。私たちを楽しませてくれてありがとう。本当に長い間ご苦労さまでした、安らかにお眠りください、と願うのみです。ヒョウタのファンの皆さんあたたかいご声援ありがとうございました。合掌。
   
(佐野 一成)

« 177号の6ページへ177号の8ページへ »