282号(2025年06月)6ページ
ニセモノの卵を抱いています

日本平動物園では毎日フンボルトペンギンのガイドを行っています。餌のアジをプールで食べる姿を見てもらいながらペンギンについてお話しするという内容なのですが、最近プールにペンギンたちが入ろうとしないので少し困っています。今は繁殖期なので、ペンギンたちが巣穴のある陸地に留まりたがるのです。そのため、お客様には「巣穴にいるペンギンが見えますでしょうか?今、あのペンギンたちは卵を抱いています」と繁殖期であることと、その影響で泳ぐペンギンが少ないことを説明しながらガイドを行っています。
さて、たくさんのペンギンが泳ぐ姿が見られないのは仕方ないとして、待っていればペンギンの赤ちゃんが見られるかと言いますと、そういうわけではありません。日本にいるフンボルトペンギンは個体情報が管理され、健康な次世代へと繋げるために血統管理が行われています。その関係で、日本平動物園のペンギンたちも繁殖させたくても繁殖させられない『繁殖制限』を行っているペアがいます。繁殖制限中のペンギンたちは飼育員が作ったニセモノの卵である『擬卵』を抱いているため、一生懸命抱卵していても赤ちゃんは孵りません。孵らない卵を抱かせるなんてかわいそうに思えるかもしれませんが、産んだ卵を取り上げるだけで済ませてしまうと母ペンギンがすぐに次の卵を産んでしまいます。何度も卵を産むと体に負担がかかるので擬卵を用意するのです。そして、親ペンギンたちに自然界でヒナが孵るまでと同じ日数ほど擬卵を抱いてもらい、その卵を諦めてくれるまで待ちます。
擬卵は、取り上げたペンギンの卵の中身を取り出し、代わりに腐らない石膏(せっこう)などを入れて元の卵と同じ重さになるように作ります。大きな穴を開けるとニセモノだと気づくペンギンもいるので、注射針で開けた直径2ミリほどの穴を使い中身を取り出す作業と石膏を注入する作業をします。これが結構難しいのです。ちなみに、何ペアかのペンギンは直径1cmくらいの大きな穴があってもニセモノの卵を見抜けないことが分かっています。
擬卵ができたら今度は本物の卵と入れ替える作業をします。先に擬卵をお腹の下に入れてから、本物の卵を回収します。ペンギンは巣のそばに飼育員が来るのを嫌がりますが、お魚を持ってきてくれるのも知っているので攻撃まではしません。しかし、卵のあるお腹の下に腕を入れると、さすがに怒りだして硬い嘴で突いてくるため、分厚い手袋をして痛いのを我慢しながら手早く済ませます。ここで本当に容赦なくつついてくるペンギンや体は大きいけど全力でつつかない優しいペンギンなど色々な個性があることが分かります。ペンギンは体が丈夫で力強い生き物ですが、闘争はあまり得意ではなく、相手の弱点である目を狙って攻撃してくることは滅多にありません。そのため、手が痛いのを我慢すれば比較的安全に卵の入れ替えができます。つついてくる嘴と卵を回収する手の間を大きな板などで仕切ってしまえば痛い思いをすることもないのですが、大事な巣穴の中に人の手が入るだけでもストレスなのに、さらに大きなものを入れて驚かせたくないので最小限の用意で行っています。そして、この時に回収された卵は次の擬卵として使うためにとっておきます。
そんなわけで、今バックヤードには擬卵にするために回収した卵が11個もあります。これらを全部擬卵にすると思うとちょっと億劫なのですが、新たに擬卵にした卵は繁殖制限だけでなく、標本として残し、特別なイベントの際に実際に来園者に触ってもらうというかたちでも活躍します。今年の夏にペンギンの特別イベントを企画中ですので、タイミングが合えばぜひご参加ください。
(中村)