でっきぶらし(News Paper)

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249号(2019年08月)5ページ

病院だより「アザラシプールの悲劇」

 日本平動物園では、ゴマフアザラシを3頭飼育しています。彼らはちょっと狭い水槽で飼育されていて陸地が少ないにも関わらず、毎日飼育員からトレーニングを受けたりお客さんからエサをもらったりして、クリクリの目で愛嬌を振りまいてくれます。

 そのアザラシたちにとって(というか担当飼育員と獣医師にとって)、年に一度のメインイベントがあります。それは、「ダイバーさんによる水槽のガラス清掃」…ではなく、「シズちゃんの爪切り」です。紅一点のシズちゃんは、前ヒレ(手ビレ)の爪が変に長く伸びてしまうため、危険防止のために年に一回プールの水を抜いて飼育員と獣医師で爪切りを行っています。運命の休園日、朝からプールの水を抜いて猛獣館二階からはしごを下ろし、盾を持ってヘルメットをかぶった人間がわらわらとプールの底に降りていきます。そしてキバをむいて唸り声をあげてくるオスのアザラシたちを数人がかりで盾を使ってガードし、目当てのシズちゃんを追い込んで一人が体の上に乗って動きを封じ込めて爪を切るという、インポッシブル気味なミッションです。そしてここ数年、なぜかシズちゃんの上の乗る係が自分です。そのミッションを遂行できたあかつきには、グラグラ揺れるはしごでプールの底から上へあがり、やっとおいしい空気を吸うことができるのです。

 しかしここ半年の間で、爪切りよりも困難なアザラシ系ミッションがくだされました。それも2回。どちらも「来園者の落とし物を速やかにプールから回収せよ」というものでしたが、驚いたのはどちらも「二階テラスから円筒水槽の中に落とした」ということでした。つまり、一階の最ボトムにブツがあるということです。一回目はサングラス、二回目は自撮り棒(携帯電話でセルフィー撮影するための道具)でした。サングラスはレ〇バン製の高価なものらしく、「回収したら連絡ください」と連絡先を残して落とし主は立ち去り、自撮り棒は「大した物じゃないのでいいです」と言って落とし主は立ち去ったそうです。しかし、どちらもアザラシにとっては見たこともない異物。天の恵みとばかりに、万が一食べてしまったりしたら大変です。という訳でどちらの日も、出勤日にドンピシャ当たっていた「アザラシにまたがる男」が無線で呼ばれました。

 まずは一回目のサングラスのミッション。プールの水を抜くのは最後の手段なので(時間もかかるし)、動物病院にある一番長いタモを二階の陸地から円筒水槽に下ろしました。しかし全然届かないので、伸びる釣り竿の先にタモをつけて下ろしたところ、ギリギリ底まで届きました。喜んだのは束の間、大きな問題がありました。距離がありすぎる上に水の反射により、上でタモを動かしている自分からはサングラスが全く見えないのです。仕方ないので、一階でガラス越しにサングラスとタモを見ている飼育員から無線で指示を受けてタモを動かすという作業になりました。「もうちょっと右」「いやそっちは左だってば」「もっとすくうように動かして」「あー、惜しい」…と、それはそれは指示するほうも動かすほうもイライラモヤモヤする作業で、今までの人生でやってきた中で最も難しいゲーム(?)でした。そんなこんなで二十分ほど頑張って、タモに引っかけて取れた時の感動はすごかったです。まさに獣医冥利につきました(これって獣医の仕事か?)。

 次は二回目の自撮り棒のミッション。今回は、見たこともないパステルカラーだったからなのかシズちゃんが棒を気に入って何度もくわえて定期的に動かしており、前回のタモ戦法は通用しそうにありません。作戦会議の末に最後の手段を使うことにしました。そう、「プールの水を抜いたら底に何があるのか作戦」です。来園者が落とされたのが午後三時のイベントの時なので、その後から水を抜き始めて午後五時前に再集合しての残業作業になりました。しかしこの日は飼育員半数出勤の日で、アザラシ担当者も休みで代番日(担当者の代わりに世話をする日)でした。それでもなんとか人をかき集め、元アザラシ担当者二名、アザラシまたがり男、飼育係長を含む総勢六名でミッション実行です。グラグラのはしごで私と元担当者が底に降り、棒を大事そうに胸元にしたためているシズちゃんから奪い取るという、これまたインポッシブルなミッションでした。しかし、勇気ある元担当者のファインプレーにより何とか棒を奪還することができました。一時間ちょっとで作業が終わり、やはり上にあがって吸った空気はとてもおいしかったです。

 イレギュラーな時期に二度もアザラシの作業に貢献したので、今年の爪切りの作業の際は最前線から外れていいものだと自分では思っていますが、飼育員さん、どうでしょうか?

塩野 正義

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