でっきぶらし(News Paper)

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172号(2006年10月)8ページ

【動物園実習だより】 学芸員実習を終えて

九州東海大学農学部  伏見 圭司

今回、10日間という短い期間ではありましたが、日本平動物園で学芸員という立場から実習をさせて頂きました。動物園といえば市民の娯楽あるいは学習のための施設でありますが、僕はこの実習でそれらの価値と奥深さを体験によって教えて頂きました。

日本平動物園は僕が幼い頃に両親に何回も連れて行ってもらった馴染みの場所です。子どもの時はわくわくしながらいろんな動物を見て、そしてそこから純粋な“なぜだろう?”という疑問が浮かんできました。それを両親に教えてもらった時、そして理解した時に自分の中で何か嬉しい気持ちが湧いてきたことが今でも思い出に残っています。

ところが、大人になった今、子どもの時の純粋な“なぜだろう?”が無い今、動物を見て何を思うのだろうか…。 久しぶりに来園した時に見た動物園の風景は、昔とほとんど変わっていませんでした。そこにはもちろん懐かしさがあったのですが、しかし、なぜか新鮮でした。フラミンゴ、チンパンジー、ライオン、トラ、ゾウ、キリン、多くの動物は見慣れたはずなのになぜか新鮮、“…なぜだろう…?”、初めはよく解りませんでした。

しかし、学芸員という立場から子どもに動物の説明をしながらコースを歩き回っていく実習でその疑問は僕なりに解決しました。子どもは動物を見て「ゾウはどうして鼻が長いの?」、「ホッキョクグマはどうして寒くないの?」などと質問してきます。

大人はそれに対して「人間はご飯を食べる時には手を使って口に運ぶよね?ゾウは体が大きいからエサを食べる時には手を使って口に運べないでしょ? だから人間が手を使う様に、ゾウも鼻を使うために長くなったんだよ。」、「人間は寒い時には服をたくさん着て体を暖かくするよね?

ホッキョクグマも寒い所にすんでいるから毛皮をフサフサにして暖かくするんだよ。」などと答えます。つまり、子どもは純粋な考え方で動物を見ます。一方で、大人は科学的な考え方で動物を見ます。それぞれの視点が異なるから、発想が違う、だから新鮮なんだと感じました。

そう考えることで、動物園というのは子どもにも大人にも何かを考えさせ、そこからわくわくする気持ちや感動を与えてくれる施設なんだという実感を持つことができました。

また、普段は見ることのできない動物園の姿を見たり聞いたりさせて頂いたことでその苦労を知りました。理想とすることも、やむを得ず時には妥協しなければいけないこともある。

動物園において、動物が好きだけでは動物を守れない。動物を優先的に考えるか、人間を優先的に考えるか…そのバランスが難しい所です。しかし、動物と人間は“生きる”ことにおいて絶対的に共存関係になければならないと思います。

動物たちは人間に多くの情報を与え、人間はその情報をヒントに高度な文化を築き上げています。だから、人間は動物への恩恵として広義的に保護する、つまりその文化を駆使して人間だけでなく動物も住み良い環境を提供する立場にあると考えるからです。

この様な多くの考え方を教えてくれたのは、動物園での実習と動物たちです。僕が動物園で経験したことは全体の中の小さい部分でしかないのかもしれませんが、僕にとっては大きな経験でした。
最後になりましたが、お世話になった多くの動物園のスタッフの方たちに、僕に貴重な時間を割いて大きな経験をさせて頂いたことに大変感謝をしております。本当にありがとうございました。

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